枕草子~人にあなづらるるもの~


【原文】
人にあなづらるるもの。
築地のくづれ。あまり心よしと人に知られぬる人。


【現代語訳】
人に軽く見られるもの。
築地の崩れ。あまりにも性格がよいと人に知られてしまった人。


語釈もくそもありません(笑)。そのままです。

強いて言うなら「築地(読み:ついぢ)」が土塀のこと、ってくらいでしょうか。

 

さて、「あなづらるる」を「馬鹿にされる」と訳すのは個人的には嫌です。

具体例の第一に挙げられているのが「築地の崩れ」です。

「築地の崩れ」で連想されるのは「築地の崩れから侵入→覗き見」というパータンです。

つまり、「お!この家のぞけるぜ」と男が思うわけです。

従ってこの章段は、男が女を「あなづる」ケース、女が男に「あなづらるる」ケースを扱っているとも取れません?

つまり「この女落とそうぜ!」と男が気軽に言い寄ってきてしまうケースを挙げているのではないか、と。

だから、「馬鹿にされる」より「軽く見られる」の方が好きです。

「築地の崩れ」=「経済的困窮」だけだとどうもつまらないので。


二つ目の「あまり心よしと人に知られぬる人」というのはちょっとめんどくさい。

「あまり」は「ひどく/あまりに」と訳す副詞。

これを、①形容詞「心よし」にかけるのか、②動詞(+助動詞)「知られぬる」にかけるのか。

①だと、「あまりにも性格がよい」と人に知られた人。
②だと、あまりにも「性格がよい」と人に知られた人。

カギカッコのスタート地点が変わります。

どっちでも「男が女を軽く見るパータン」という観点でいけます。

「性格がよい」とに知られてしまった、ということであればどちらでも。

ただ、何でも度を過ぎるとダメなんで、ここも①「性格が良すぎる→お人好し」の方が個人的には好みです。

「お人好し」→「押しに弱い/断れない」→男から「落とせる!」と思われちゃった女性。

そもそも「心良し」で「お人好し」の意味がある、と言われたらそれまでなんですけど。

 

追記:最も原形に近いと言われる《三巻本》で考えると上のような解釈が成立します。ただ《能因本》では「築地の崩れ」「お人好し」の他、「家の北面」「年老いたる翁」「淡々しき女」が挙げられているとのこと。そっちを底本に据えるか、MIXして考えると、上の解釈は破綻しますね。ちくしょー、「翁=じじい」邪魔!だから《能因本》は考えないことにします(笑)
ちなみに「淡々し」というのは「軽々しい」という意味です。


「人類で最も性格がよい」と言えば松原夏海ちゃんなのですが、この件では関係ありません。

夏海ちゃんの優しさは人類どころか宇宙規模なので、地上の尺度では語れないからです。

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