大鏡~菅原道真~(4)


~前回までのあらすじ~
1)醍醐天皇の御代、左大臣時平と右大臣道真が国政を取り仕切っていたが、道真の方が学問があり帝からの信も厚かった。内心面白くない時平だったが、ちょうど道真に不都合なことが起こり、道真は左遷され、大宰府に流されるのだった。

2)道真には多くの子がいたが、それぞれ別々の地へと流されることになった。あまりにも幼い子は道真に同行することを許されたが、道真は無実の罪を嘆いて和歌を詠み、ついには出家して大宰府へと下っていくのだった。

3)詩や歌を詠みながら大宰府に到着し、いつか都に呼び戻されることを密かに期待し、何かにつけて和歌を口ずさむ道真だった。

さあ、前回書いたとおり、今回は世継じいさんの語りではなく、地の文です。


【現代語訳】
本当に、ものものしい政治のことはもちろんのこと、

このような和歌や詩などをすらすらと格調高く、先人が口にした通りに言い続けるので、

見聞きする人は、目もくらむような思いで呆然とし、感動して見つめている。

物事の道理が分かる人なども、ひどく近くに寄って脇目もふらずに見聞きする様子を見て、

世継じいさんはますます勢いづいて、ものを繰り出すように言い続ける様子は、本当に世にも珍しいことであるなあ。

繁樹じいさんは感動の涙を拭いながら興に入っている。


ちょっと短いですが、この直後からまた大宅世継の語りが始まるので、ここで切りました。

受験勉強として古文に触れていても、『大鏡』の地の文というのには出くわさないことが多いでしょう。

前回、少し紹介しましたが『大鏡』の設定は、「雲林院の菩提講」が始まるまでの間、

聴講に集まってきた人を相手に、大宅世継と夏山繁樹が昔語りをする、ということになっています。

そして、たまに若い侍が「僕は今の話とは違う風に聞いています」と反論したりもします。

とにかく、この地の文では、世継じいさんの話を聞いている、周囲の人たちの様子が描かれています。

しかし繁樹じいさんは何で泣いてるんですかね(笑)

昔のことを思い出して何となく泣いているのか、聴衆と一緒に世継の話に聞き入って泣いているのか。

まあそんなところなのは分かりますけど。

この場面に限らず、古文全般で「え?何でいま泣くの?」って思うことはちょいちょいあります。


【原文】
まことにおどろおどろしきことはさるものにて、
かくやうの歌や詩などをいとなだらかにゆゑゆゑしう言ひ続けまねぶに、
見聞く人々、目もあやにあさましくあはれにもまもりゐたり。
もののゆゑ知りたる人などもむげに近くゐよりて、ほか目せず見聞く気色どもを見て、
いよいよはえて、ものを繰り出だすやうに言ひ続くるほどぞ、まことに希有なるや。
繁樹、涙を拭ひつつ興じゐたり。


【語釈】
◯「おどろおどろしきこと」
「おどろおどろし」は重要語で「大げさだ、ものものしい」の意味。大げさなこと、ものものしいこと、というのはここでは政治のこと。次に出てくる「歌や詩などまでも」の表現から、「世継の話の中で中心となる政治の話はもちろん、歌や詩などまでスラスラ口を次いで出てくることに人々は感動した」という文脈だと判断する。

◯「ゆゑゆゑしう」
漢字で書けば「故故し」となる。「格調高い/風格がある/威厳がある」などの意味。

◯「まねぶ」
重要語で「真似する」の意味。ここでは、物まねと言うより、先人の言った通りに、ということ。

◯「目もあやにあさましくあはれにもまもりゐたり」
「目もあやなり」は「まばゆいほどだ」の意味。「あさまし」は重要語で「①驚きあきれる、②情けない」などの意味。ここでは①。「まもる」も重要語で「見つめる、見守る」の意味。

◯「もののゆゑ知りたる人」
「ゆゑ」は多義語。情趣、という意味でも取れるだろう。ここでは「理由」の意味から意訳して「道理」とした。

◯「ほか目」
ほかに目をやること、よそ見をすること。

◯「はえて」
動詞「はゆ」。「映ゆ・栄ゆ」で「調子に乗る/更に勢いづく」の意味。「逸ゆ」として「心がはやる/高揚する」の意味でも取れるだろう。

 

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