大鏡~菅原道真~(7)


~前回までのあらすじ~
1)醍醐天皇の御代、左大臣時平と右大臣道真が国政を取り仕切っていたが、道真の方が学問があり帝からの信も厚かった。内心面白くない時平だったが、ちょうど道真に不都合なことが起こり、道真は左遷され、大宰府に流されるのだった。

2)道真には多くの子がいたが、それぞれ別々の地へと流されることになった。あまりにも幼い子は道真に同行することを許されたが、道真は無実の罪を嘆いて和歌を詠み、ついには出家して大宰府へと下っていくのだった。

3)詩や歌を詠みながら大宰府に到着し、いつか都に呼び戻されることを密かに期待し、何かにつけて和歌を口ずさむ道真だった。

4)淀みなく話を続ける世継じいさんに、話を聞く者たちはすっかり引き込まれていた。そこで世継じいさんはますます気をよくして話し続けるのだった。

5)気をよくした世継じいさんは、大宰府で謹慎する道真が詠んだ漢詩を披露するのだった。

6)世継じいさんが道真の詩歌に詳しくなったいきさつを話すと、聴衆はしきりに感心した。

ここしばらく、ずっと詩歌のオンパレードで飽きてきましたが、前回も書いた通り、今回はようやく話が進みます。

といっても、楽しい話ではないのですが・・・


【現代語訳】
また、雨が降る日に、ぼんやりと物思いに沈みなさって、

あめのした・・・〔雨が降り続けて乾く間もないせいだろうか、濡れた着物も乾くことはない。同じく、この天下で私が着せられた濡れ衣―無実の罪―が晴れることもないのだ・・・〕

そのままその地でお亡くなりになったが、その夜のうちに京の北野の地にたくさんの松をお生やしになって、

御霊がお移りになったところを、ただ今の北野天満宮と申して、

霊験あらたかな神でいらっしゃるので、帝も参拝にお出ましになる。

非常に尊いものとして崇拝申し上げなさるようだ。

筑紫の、道真公を祀る所は安楽寺といって、朝廷から別当や所司などを任じなさって、とても格別である。

さて、内裏が火事で焼失して、たびたび造営なさることがあって、これは円融院の御代のことだが、

宮大工の者どもが屋根の裏板をとてもしっかりとカンナをかけて張りあわせ、その日は退出して、

翌朝にまた参上してみると、昨日の裏板に、黒ずんで見えるところがあったので、

梯子に登って見ると、夜の間に虫が食っていたのだった。その文字は、

つくるとも・・・〔何度造営してもまた焼失するだろう。棟の下に張った板が隙間なくぴったりと合わない限りは。そしてまた、菅原道真の悲痛な胸の内が晴れるまでは〕

とあった。それも、この北野天満宮に祀られた道真公の怨霊がなさったことだと世間では申すようだった。

こうして、道真公は大宰府にお出でになって、延喜三年癸亥二月二十五日にお亡くなりになったことだよ。

御年五十九歳で。


なんだか知りませんが、いきなり道真公は死んでしまいました。

享年59歳だそうです。

道真の死後は異変が相次いだそうです。

内裏の焼失。

これは落雷によるもので、以後、道真は雷神と結びつけられることになりました。

また、道真を左遷に追い込んだ人々も次々不幸に陥るのですが、

それはこの後の内容に関わってくる部分なのでやめておきますが。

これらの災厄は道真の祟りだという判断から、道真は死後に位が上がっています。(これを「追贈」といいます)

今回の話では円融天皇の時代の内裏の焼失の話が出ていますが、

道真の時代は醍醐天皇、その後、朱雀天皇 → 村上天皇 → 冷泉天皇 → 円融天皇、となるので、

かなり後の話ですが、長いこと朝廷では道真の怨霊という呪縛がとけなかったようですね。

その結果。なんと、道真は死後70年たってからまだ位が上がって、ついには太政大臣になっています。

(いやいや、絶対に意味ないって・・・w)

菅原道真は今では学問の神様として日本各地に祀られていますね。

ご存じかとは思いますが、「◯◯天満宮」「◯◯天神社」とあるのはすべて道真を祀っている神社です。

では最後に原文を。


【原文】
また、雨の降る日、うちながめ給ひて、

あめのした乾けるほどのなければや着てし濡れ衣ひるよしもなき

やがてかしこにてうせ給へる、夜のうちに、この北野にそこらの松をおほし給ひて、
わたりすみ給ふをこそは、ただ今の北野宮と申して、
現人神におはしますめれば、おほやけも行幸せしめ給ふ。
いとかしこくあがめ奉り給ふめり。
筑紫のおはしまし所は安楽寺といひて、おほやけより別当、所司などなさせ給ひて、いとやむごとなし。
内裏焼けて、度々つくらせ給ふに、円融院の御時のことなり、
工ども裏板どもをいとうるはしくかなかきて、まかり出でつつ、
またの朝に参りて見るに、昨日の裏板に、もののすすけて見ゆる所のありければ、
はしにのぼりて見るに、夜の内に虫のはめるなりけり。その文字は、

つくるともまたも焼けなんすがはらやむねのいたまのあはぬかぎりは

とこそありけれ。それもこの北野のあそばしたるとこそは申すめりしか。
かくてこのおとど筑紫におはしまして、延喜三年癸亥二月二十五日にうせ給ひしぞかし。
御年五十九にて。


【語釈】
◯「北野宮」
京都市にある北野天満宮のこと。

◯「安楽寺」
福岡にある、現在の大宰府天満宮

◯「延喜三年」
西暦903年。

 

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