枕草子~五月御精進のころ~(1)


そろそろ『枕草子』書かないと死んじゃう!っていう禁断症状(笑)

もう半年くらい遠ざかってましたからね。

『枕草子』まみれにならないように、意識的に『大鏡』とかを取り上げていましたが。

そろそろいいでしょう、ってことで始めたいと思います。

一月・五月・九月を「三斎月(さんさいがつ)」といって、

鬼神が四方を巡行し、一切の善悪を四天王に報告する月だそうです。

なもんで、仏門に入っていない人たちもこれらの月には精進に励むのだそうです。

そんな五月の清少納言ちゃん達でございます。


【原文】
五月御精進のほど、職におはしますころ、
塗籠の前の二間なる所をことにしつらひたれば、例ざまならぬもをかし。
一日より雨がちに曇り過ぐす。
つれづれなるを、「郭公の声たづねに行かばや」と言ふを、我も我もと出で立つ。
賀茂の奥に、なにさきとかや、棚機の渡る橋にはあらで、にくき名ぞ聞こえし、
「そのわたりになん、郭公鳴く」と人の言へば、「それは蜩なり」と言ふ人もあり。
そこへとて、五日の朝に、宮司に車の案内言ひて、
北の陣より、「五月雨は、とがめなきものぞ」とて、さしよせて、四人ばかり乗りて行く。
うらやましがりて、「なほいま一つして、同じくは」など言へど、
「まな」と仰せらるれば、聞き入れず、情なきさまにて行くに、馬場といふ所にて、人多く騒ぐ。
「何するぞ」と問へば、
「手つがひにて真弓射るなり。しばし御覧じておはしませ」とて、車とどめたり。
「左近中将、みなつき給ふ」と言へど、さる人も見えず。
六位など、立ちさまよへば、「ゆかしからぬことぞ、早く過ぎよ」と言ひて、行きもて行く。
道も、祭のころ思ひ出でられてをかし。


【語釈】
◯「職」読み:しき
中宮職のこと。中宮職というのは中宮身辺のお世話をする役人が勤めている所。ただし、本来天皇の妻たる人物が住むような所ではない。中宮職に定子が住むようになったのは997年からのこと。その2年前に、最大の後ろ盾であった父・関白藤原道隆が世を去り、翌996年には兄・藤原伊周&弟・藤原隆家が花山法皇殺人未遂事件を起こして失脚、失意の中宮定子はなんと落飾(出家)していた。伊周らの失脚は、一条天皇の第一皇女を身ごもっていた定子がすでに皇居を離れて出産にそなえていた時期だった。出産すると、一条天皇は周囲の反対を押しのけて定子を再び皇居に呼び戻したが、事件の後でもあり、後宮に定子を据えることはできなかったようで、中宮職に据えられることになった、という経緯がある。ちなみに、この中宮職は霊が出るという噂もあったところ。

◯「塗籠」読み:ぬりごめ
四方を壁で塗り固めた部屋。大きなウォークイン・クローゼットのようなもの。ただし、ここで寝ることもあったらしい。高校時代の愛読書、浜島書店の『新編常用国語便覧』から写真を拝借。※クリックで拡大

建物の中心にある母屋(もや)に隣接して(あるいは、母屋の一部として)塗籠が設計されている。月からの使者がかぐや姫を奪還に来るとき、竹取の翁らがかぐや姫を隠したのも塗籠。

◯「郭公」読み:ほととぎす
古文では「郭公(かっこう)」と書いて、「ほととぎす」と読む。

◯「なにさきとかや、棚機の渡る橋にはあらで」
「○○さき」という名の橋があったのだろう。「棚機」は「七夕」。七夕の橋というのは天の川に架かるという伝説のかささぎの橋。「かささぎ」と響きが似ている「○○さき」という名だったということ。ただ、何だか知らないがそれが不快な名だったという。だから伏せているのだろう。

◯「北の陣」
内裏の北の門である朔平門のことを北の陣という。ここではそこにある近衛府の詰所を指している。

◯「まな」
「いけません」と禁止する時に発する語。「仰せらるれば」と尊敬語が使われているので、中宮定子のセリフ。

◯「手つがひ」
近衛府の官人が左右に分かれて弓を射る競技。

◯「祭」
古文で、ただ単に「祭」と出てきたら「葵祭」のこと。葵祭は賀茂神社主催の祭りで、「賀茂の祭」とも「みあれ」とも言う。


【現代語訳】
五月の精進潔斎のころ、これは定子様が中宮職にいらっしゃるころのことだけど、
塗籠の前の二間である所を特別にしつらえているので、普段と違う様子なのも新鮮で面白いわ。
一日から雨降りが続いて、暗い気持ちで過ごしていたの。
することもないから、「ホトトギスの声でも聞きに行きたいわね」と私が言うと、私も私も、と出かけることに。
賀茂の奥に「何とかさき」といったか、七夕に織姫が渡るかささぎの橋ではなくて、憎らしい名が聞こえた、
「そのあたりでホトトギスが鳴くわよね」と誰かが言うと、「それはヒグラシでしょ」と言う人もいたわ。
とにかくそこへ、といって五日の朝に、中宮職の役人に車の手配を頼んで、
北の陣の詰所から、「五月雨はおとがめないですよ」と言って車を中宮職に寄せてくれて、四人だけ乗って行ったの。
他の女房たちは羨ましがって、「もう一台で行きましょ、どうせなら」などと言うけれど、
定子様が「だーめ」とおっしゃるので、私たちも聞き入れず、薄情な感じで行くと、
馬場という所で、人が大騒ぎしているの。
私が「何をしているの?」と尋ねると、
車の供が「手つがいの競射で、弓を射るのです。しばらく御覧ください」と言って、車をとめたわ。
「左近の中将も、みな座につきなさっています」と言うけれど、それらしい人は見えなかったわ。
六位の者などがうろうろしているので、「気が乗らないわ。早く車を出して」と言って、先を急いだの。
道も、賀茂の祭りの頃が思い出されて風情があったわ。


うーん、定子たんがほとんど出てこないからなあ。

萌えポイントがないよー (T^T)

せめて「まな」を「いけません」というありきたりな訳ではなく「だーめ」にしてみました(笑)

 

枕草子~五月御精進のころ~(2)

 




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