源氏物語~桐壺~(13)


月も沈んでしまいました。

雲のうへも涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生の宿
〔この雲の上―宮中―からでさえ涙で見えなくなってしまった秋の月が、浅茅の茂る桐壺の実家からではどうして澄んで見えようか。そしてまた若宮はどんな風に暮らしているだろうか〕

若宮の暮らす桐壺様のご実家のことをお思いになりつつ、灯火をともす油がきれてもなお起きていらっしゃいます。

すると、宿直を勤める右近の司の者が自分の姓名を名乗り申し上げたので、丑の刻になったようでした。

帝は人目をお気になさり、夜の御殿にお入りになっても、なかなか寝付くことがおできにならずにいるのでした。

また、朝に起きなさるといっても、「夜が明けるのも知らないで」という古歌を思い出しなさるにつけ、

やはり朝の政務はお執りにならずにいるようでした。

お食事を召し上がることもなく、朝食も、箸をおつけになるのはほんの体裁程度で、

とても食事の気分にならないとお思いになっているものですから、

お給仕に伺候している人はみなその悲痛なご様子を拝見して嘆くばかりでした。

帝のお近くにお仕えしている者は男も女も「とてもつらいことだ」と声を揃えて嘆いておりました。

「桐壺様とはこうなる運命でいらっしゃったのだろう」

「数々の非難や恨みをも気兼ねなさらずに、桐壺様のこととなると物事の道理もお忘れになっていたものを、

今またこうして世の中もお捨てになったかのようになっていくのはどうしたものか」

「まったく困ったことだ」

と、人々はよその国の朝廷まで引き合いに出し、ひそひそと話しては途方に暮れるのでした。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


冒頭の和歌は帝が詠んだもので、「すむ」に「澄む/住む」が掛けられています。

宿直は現在と同じ意味で、要するに夜勤のことです。ただし読み方は「とのゐ」です。

宮中で宿直している者が決められた時刻に自分の姓名を名乗る「宿直申し」というのがあったそうです。

ここでは、右近の司の者が「宿直申し」をしているのを聞いて、丑の刻になったのを知ったと言っています。

ちなみに、右近の司は左近の司とセットで宮中の門を警護する役目を負っています。

そして、帝が「明くるも知らで」と古歌を引き歌にしていますが、

玉すだれ明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひかけきや
〔美しい簾の中で夜が明けるのも知らずにあの人と寝ていたのに、夢でも会えなくなるとは思っていなかったことだよ〕

というのが歌の全体で、平安前期の女流歌人=伊勢の作です。

以前、宇多天皇が描かせた長恨歌の屏風絵というのがありましたが、それに書き添えられた歌のようです。

この伊勢という歌人は『古今和歌集』に、女性の中で最も多く歌が入っている人です。

さて、次から若宮(光源氏)のお話です♪

 

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