源氏物語~夕顔~(16)


ゴロゴロと鳴る雷よりも大袈裟な音を立てて踏んでいる唐臼の音も、枕元で鳴っているように聞こえてきます。

これにはさすがの光る君も耐えがたく思っていらっしゃいました。

ただ、何の音かはお分かりにならず、とても奇妙で不愉快な音だとばかりお思いになります。

煩わしいことばかりが多くございました。

一方で、衣を打つ砧の音が、かすかにあちこちから響いてきたり、

それに空を飛ぶ雁の鳴き声などもあわさったり、しんみりとした感慨を催す秋の情趣も多くございました。

縁側に近い所だったので、遣り戸を開けて一緒に庭の景色をご覧になりました。

狭い庭には、気の利いた呉竹が植えられており、

また、前栽に置く露は、やはりこのような所であっても光る君の邸宅と同じくきらきらと輝いていました。

虫たちがあちこちで盛大に鳴き騒いでいましたが、壁の中に入りこんで鳴くコオロギでさえ、

広いお屋敷に住む光る君は、遠く幽かにしかお聞きになったことがなく、この耳元で鳴き乱れているかのようなのを、

かえって新鮮にお思いになるというのも、女への深い愛情のためで、あらゆる欠点が許せてしまうようでした。

白い袷に薄紫の柔らかい衣を重ねて着ているのは、

決して晴れやかな姿ではありませんでしたが、とてもかわいらしく愛おしい気がして、

どこが優れていると取り立てて指摘するほどの点もないのですが、ほっそりとしなやかな姿で、

ものを言っている様子などは苦しいほどに愛しく、ただひたすらかわいく思われるのでした。

この人に気取ったところを少し加えたらどうなるだろう、とご覧になりつつ、

やはりくつろいだ気分で会いたいとお思いになるので、

「さあ、ここから近い所に移って穏やかな気持ちで朝を迎えましょう。

ここでこうしてばかりいるのは苦しいから」

とおっしゃると、

「いやですわ。急すぎますもの」

とたいそうおっとりした感じで答えました。

光る君が来世までも変わることのない永遠の愛をお誓いになると、

それですっかり心を許してしまうあたり、普通の女とは違って不思議で、世慣れているとも思えないので、

人がどう思おうが構わないというほど夢中におなりになって、

女の側近である右近をお呼び出しになり、従者を呼んで車を邸内に引き入れさせなさりました。

この家の人たちも光る君の女への愛情が並大抵ではないのを見知っているので、

素性の知れない男に不安がないわけではないのですが、信頼し申し上げているのでした。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


前回のシーン(光源氏が夕顔の家を訪れたところ)のままです。

冒頭に出てきた「唐臼からうす」とは何でしょう。

小鹿田皿山の唐臼

上のYouTubeの動画では「ししおどし」のシステムを応用しているので水の音も合わさっています。

かなりの大音が響いていますね。

本来、唐臼とは、臼を地中に埋め、杵を足で踏んで穀物をつくものです。

このようなもの、光源氏の生活にはまったく入りこむ余地がないのは当然です。

前回出てきた近隣住人が、早朝からこういう仕事を開始しているわけですね。

 

それから、「砧きぬた」ですが、こちらは和歌にも詠まれ、古文によく出てきます。

秋の風情を代表する一つであり、季語にもなっています。

布を台の上に置いて木槌で叩くんですね。(参照

そうすることで布が柔らかくなり、またつやも出るそうです。

冬着の準備ということで、秋に行われるのです。

 

それから、コオロギと出てきました。

原文では「きりぎりす」なのですが、古文に出てくる「きりぎりす」はコオロギの古名なんです。

ややこしいですよね。笑

「壁の中のコオロギ」というのは、文字通りです。

当時はもちろん木造建築で、隙間から壁の中に入りこんでよく鳴いていたようです。

 

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